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2008年4月27日 (日)

皇居東御苑にツツジを見に行く

今日は会社の同僚の方々と、「皇居東御苑」にツツジを見に行ってきました。皇居東御苑までは自宅から自転車で行ったのですが、ちょうど15kmくらいですので、サイクリングにはちょうど良い距離でした。気温も寒くもなく暑くもなく、自転車に乗るには今が一番良い季節ですね。

Tsutsuji1

さて、皇居東御苑は、皇居の中の昔の江戸城のあった場所を一般に公開している公園で、日比谷公園と並んで、東京のど真ん中の貴重な緑だと思います。広大な敷地できちんと整備されているのに入場無料なのもポイント高いですね。皇居東御苑の中には色々な花が植えられていて、四季折々に楽しめるのですが、今はちょうどツツジが盛りでした。

Tsutsuji2

いつも思うのですが、ツツジという花は2つの点でちょっと変わっている気がします。まず、真っ白から、鴇色、赤、ショッキングピンクまで、花の色が多種多様であることです。特にショッキングピンクや赤のツツジが群生して咲いている景色は、南国の花のようなインパクトがあります。しかし、葉や枝を見ると同じ樹のように見えるのですが、どうしてここまで色が違っているのでしょうか?単に品種が違うだけなのか、それとも、アジサイは土の成分によって色合いが変わると聞いたことがありますが、ツツジの場合もそういう理由なのでしょうか。

Tsutsuji3

次に、ツツジを漢字で書くと「躑躅」なわけですが、なぜこんな難しい非常用漢字の、しかも髑髏みたいな不気味な漢字を使うのでしょうか?Google先生に質問してみたところ、「躑躅」の漢字の意味としては「足踏みをする」「たたずむ」というものであり、何でそのような当て字を使うのかについて2つの説があるようです。第一説は、ツツジには有毒な種類があり、羊がそれを食べたところ足踏みをして苦しんだからというものであり、第二説は、ツツジの花の美しさに思わず人が足を止めてしばしたたずんでしまうからというものだそうです。今日のような見事なツツジを見た後では、第二説を支持したくなりますね。そういえば、子供の頃、ツツジの花をむしって付け根の部分の蜜をオヤツがわりによく吸ったものですが、第一説を知ってしまうとちょっとゾッとします……。

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皇居東御苑でツツジを堪能したあと、大手門のすぐ目の前にあるパレスホテルの「ハミング」というカフェ・レストランでお茶をしてきました。日英の外交関係が結ばれて150年を記念する「UK-Japan2008」という限定スイーツフェアをしていましたので、いくつかあるスイーツの中から一番見た目が綺麗だった「英国風ストロベリーショートケーキ」を頼んでみました。ショートケーキという名前がついていますが、スポンジケーキではなくて、スコーンのような生地でイチゴをサンドしてある、ちょっと変わったケーキでした。生クリームが別の小皿でついてくるので、自分の好みの量をつけて食べるというスタイルです。クリームの量を少なくすると、イチゴの甘酸っぱさを楽しめますし、クリームとスコーンだけでシンプルに味わうこともできます。英国の田舎の素朴なお菓子といった感じでした。

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GW初日の昨日は生憎の雨でしたが、2日目の今日は春の行楽を満喫できたと思います。また明日からは暦どおりに出社ですが、GW後半の連休も充実させたいものです。かなり溜まってしまった積読を崩すことをメインにしたいところですが……。

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2008年4月21日 (月)

成田美名子『花よりも花の如く』

成田美名子『花よりも花の如く』第1巻から第5巻までを読みました。「能」を描いた異色作ですが、かなり面白かったです。これまでの人生で、歌舞伎や落語は生で鑑賞したことがありましたが、恥ずかしながら能を観たことはありませんでした。そのことが悔やまれるほど、能を魅力的に描いているマンガだと思います。せっかく東京に住んでいて近くに能楽堂があるわけですから、近いうちにぜひ舞台を見に行きたいと思っています。

さて、本作は能の世界をリアルに描いているため、ちょっと薀蓄が多いというか、専門用語や細かい背景知識の解説が多いのが特徴だと思います。また、能という古典芸能に携わる様々な人々の想いや心理を丁寧に描写していることも特徴です。それら2つの特徴のために、本作は文章量が多く、読むスピードが遅くなってしまうのが欠点と言えば欠点だとは思います。クラシック音楽という違うジャンルではありますが、特殊や芸能を描いている点が共通している『のだめカンタービレ』と比較すると、『のだめカンタービレ』のほうがインスピレーションというか感覚的な描写が主体であるのに対して、本作の文章量の多さは際立っていると思います。もちろん、その分、繰り返し読むと能という芸能の奥深さが実感されてくるところは本当に素晴らしいと思います。第6巻が出るのが待ち遠しいです。

本作に影響されて、久しぶりに『風姿花伝』を読み返してみました。『風姿花伝』は、大学時代に所属していた奇術愛好会の大先輩から「手品の腕前を上げたかったら、手品だけをやっていてはダメだ。数多く舞台を観て、色々な芸能から学ばないといけない」と言われて、まず読むべき本として紹介していただいたものです。学生当時はそこそこ感銘を受けた部分もありましたが、さすがにほとんど内容を忘れてしまっていました。とはいえ、読み返してみて、改めて良いなと思う部分がいくつかありましたので、ちょっと書き抜いてみます。

そもそも、上手にもわろき所あり。下手にも、よき所必ずあるものなり。…いかなるをかしきシテなりとも、よき所ありとみば、上手もこれを学ぶべし。…もし、よき所を見たりとも、我より下手をば似すまじきと思う諍識(Rivast註:自分勝手な慢心から生ずる争い心)あらば、その心に繋縛さられて、我がわろき所をも、いかさま知るまじきなり。…人のわろき所をみるだにも、我が手本なり。いはんや、よき所をや。(第三 問答篠々)

能に、強き・幽玄・弱き・荒きを知る事、大方は見えたる事なれば、たやすきやうなれども、真実これを知らぬによりて、弱く、荒きシテ多し。…弱かるべき事を強くするは、偽りなれば、これ、荒きなり。強かるべき事に強きは、これ、強きなり。荒きにはあらず。…また、強かるべき理過ぎて強きは、殊さら荒きなり。(第六 花修云)

そもそも、花と云うに、萬木千草において、四季折節に咲く物なれば、その時を得て珍しき故に、玩ぶなり。申楽も、人の心に珍しきと知る所、即ち面白き心なり。…いづれの花か散らで残るべき。散る故によりて、咲く比あれば、珍しきなり。…物数を極めつくしたらんシテは、初春の梅より秋の菊の花の咲き果つるまで、一年中の花の種を持ちたらんが如し。いづれの花なりとも、人の望み、時によりて、取り出だすべし。…ただ、花は、見る人の心に珍しきが花なり。(第七 別紙口伝)

秘する花を知る事。秘すれば花なり。…人に心を知られぬれば、敵人油断せずして用心を持てば、かへつて、敵に心を附くる相なり。敵方用心をせぬ時は、此方の勝つ事、なほたやすかるべし。(第七 別紙口伝)

因果の花を知る事、極めなるべし。一切、みな因果なり。…しかれば、稽古するところの因おそろかなれば、果を果たすことも難し。…そもそも、因果とて、よき・あしきのあるも、公案をつくして見るに、ただ、珍しきと珍しからぬの二つなり。…本来より、よき・あしきとは、何をもて定むべきや。ただ、時によりて、用足る物をばよき物とし、用足らぬをあしき物とす。…ただ、時に用ゆるをもて、花と知るべし。(第七 別紙口伝)

こうやって書き抜いてみると、なかなか含蓄に富んだ教えが多いなあと思います。特に三番目の教えなどは、まさに手品の極意みたいな感じがしますね。最近、手品の練習をあまり真面目にやっていませんでしたが、一つの芸を極めるために人生をかけた人の言葉を読むと、またいっちょ練習してみるかという気にさせられるものです。

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2008年4月19日 (土)

自殺方法を解説するブログの削除可否について

最近、硫化水素による自殺が相次いでいますが、インターネット上、特にブログにおいて、硫化水素による自殺の方法を具体的に解説する情報が数多く掲載されていることも、その無視できない要因の一つであると考えます。それでは、ブログサービスの提供者は、そのような自殺方法を具体的に解説するブログを削除することができるでしょうか。簡単に考察してみたいと思います。

前提として、ブログサービス提供者は一般的に、自己の提供するブログサービスの利用規約において、当該ブログサービスを利用して違法情報または公序良俗に反する情報を発信することを禁止していると考えます。従って、論点としては、ブログにおいて自殺情報を具体的に解説することが、違法情報または公序良俗に反する情報を発信することに該当するか否かということになると考えます。

第一に、違法情報の発信とみなせるかについて検討します。この点、自殺は違法行為ではありません。従って、ブログにおいて自殺方法を具体的に紹介することも違法情報の発信とはみなせないと考えます。警察機関がブログにおいて違法情報が発信されていることを発見した場合には、下記のガイドラインに定められている書式を用いて送信防止措置依頼を行うことになっていますが、当該ガイドラインにも、自殺方法の紹介そのものは違法であるとは規定されていません。

インターネット上の違法な情報への対応に関するガイドライン (2006.11)
http://www.telesa.or.jp/consortium/Illegal_info/pdf/20061127guideline.pdf

第二に、ブログにおいて自殺方法を具体的に紹介することが公序良俗に反する情報の発信とみなせるかについて検討します。先日、京都府警は、「自殺を誘引する有害情報の恐れががある」として、自殺方法に関する記述を削除するようプロバイダーに依頼するメールを送ったそうです。

「硫化水素作成法」削除を - 速報 ニュース:@nifty
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2008041701000924/1.htm

しかしながら、プロバイダや掲示板管理者に対する有害情報の対応依頼は、警察機関ではなく、インターネット・ホットラインセンターを通じて行われるという運用になっていたはずであり、今回の京都府警の依頼はかなり異例のことであると思います。そして、インターネット・ホットラインセンターの公表している下記のホットライン運用ガイドラインには、以下の2つの基準が全て満たされる場合には、人を自殺に勧誘・誘引していると認められ、公序良俗に反する情報と判断されると規定されています。

  • 自殺の場所、動機、方法等を示す表現が記載されていること
  • 「一緒に死にませんか、本気で自殺したい人を募集しています」等の人を自殺に誘引する表現が記載されていること

ホットライン運用ガイドライン(2008.3)
http://www.iajapan.org/hotline/center/20080331guide.pdf

自殺方法を具体的に紹介するブログは、上記基準の第一点は満たすと考えますが、単に方法を紹介するだけであれば第二点は満たさないと考えます。従って、現在のホットライン運用ガイドラインに従えば、ブログにおいて自殺方法を具体的に紹介することは公序良俗に反する情報の発信とはみなせないと考えます。もちろん、ブログサービス提供者は、独自の判断により公序良俗違反と認定することも可能ですが、その場合は、自殺方法を紹介するブログの解説者より、表現の自由の侵害等を理由とした訴訟等の法的クレームを受けるリスクを負うことになると考えます。特に、「危険だから絶対にやらないでください」とか予防線としての言葉が入っていたりすると、ブログサービス提供者が自主的に削除することには勇気がいると言わざるを得ないように思います。

以上より、ブログサービスの提供者が、自殺方法を具体的に解説するブログを違法情報のまたは公序良俗に違反する情報の発信であるとして削除することは、法的には難しいと考えます。ただ、これは全くの私見ですが、ブログサービス提供者は、その社会的責任として、自殺方法を具体的に解説するブログの解説者に対し、解説者が自主的にそのような情報を削除することを促すような対応を行うべきではないかと考えています。最近のインターネットからの青少年保護がある種異様なほどに求められている社会的風潮を鑑みれば、表現の場の提供者たるブログサービス提供者は、たとえ法的責任はないとしても、一定程度の道義的な責任は負わざるを得ないように思うのです。

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2008年4月18日 (金)

赤坂真理『モテたい理由』読了

赤坂真理『モテたい理由』(講談社現代新書1921)を読了しました。普段の僕であれば、こういうタイトルの本はそもそも眼中にないのですが、会社の同期の女子に「強制的に」貸してもらいましたので、強制レンタルの意図が奈辺にあるのかと勘繰りながら読んでみました。ちなみに、僕は著者の赤坂真理については「小説家である」というくらいの知識しかなくて、その著書を読んだことはありません。

本書は大きく二つの部分に分かれていて(ページ数的には8対1くらいですが)、前半が『JJ』や『CanCam』等の女性向け雑誌から分析される「モテ」の分析、後半が自己のアメリカ留学体験等を通じた戦後日本に対する考察となっています。ただ、この二部制が功を奏しているとはとても思えなくて、前半ではそこそこ客観的に男女の「モテ」に対する検討をしているのですが、それが何の脈絡もなく後半の自分語りにつながるので、両者のギャップに戸惑ってしまいます。最終的に、後半の自分語りの知見が前半の「モテ」の分析に還元されているわけでもないですし、正直言って、後半の存在意義が不明確です。

とはいえ、前半の女性誌の分析は、『CanCam』なんぞ手に取ったことすらない僕にとってはなかなか新鮮で興味深かったです。女性誌を具体的に例示しながら恋愛資本主義と呼ばれるものの本質を洞察する読物としては、手軽でまとまっていると思います。ただ、洞察の端的な結論や「だからどうすれば良いのか」という具体的な解答が明示されているわけではなく、主観的な思い込みともとれる意見がダラダラと続いているだけなのがちょっと残念です……。僕なりに前半の内容をざっくりと要約すると、大体こんな感じです。

  • 女性誌には、良い家柄のお嬢様で、自分の希望の職種について責任ある仕事を任されていて、ステキな彼もいて、結婚・出産もしてという女性としての最高の幸福を体現したようなファンタジーとしてのライフスタイルが展開されており、読者がそのようなライフスタイルを体現するための様々なファッションやノウハウが紹介されている。
  • しかし、男性の側は、女性誌のファッションやノウハウに感化されることはほとんどない。むしろ、そのようなファッションやノウハウに価値を見出すのは、女性誌の読者が嫌悪するオタクである。
  • オタクは恋愛資本主義が要求する果てしのない「モテ」へのコミットから「降りる自由」を行使した者たちであると言える。一方、女性誌の読者が恋愛資本主義にコミットせざるを得ないのは、女性の自立が進んできたとはいえ、まだまだ日本社会は男性中心社会であり、女性が生存するためには恋愛という「関係性」において勝利する必要があるからである。
  • そのような意味で、女性誌の読者とオタクとは、あえて敷衍すれば、現代の女性と男性とは、ともに戦後日本社会の恋愛資本主義の一つの到達点である「モテ」という幻想に振り回されている被害者であると言える。

ところで、僕はいわゆる「モテ」のテクニックやノウハウにあまり興味が持てず、男女の恋愛というものにも消極的です。そのような態度の原因はどこにあるのだろうと自己分析してみると、大きな観点での自分の人生の目的を、自己の完成や人格の陶冶といったある意味でエゴイスティックなところにおいており、恋愛をその目的に至るためのいくつもある手段の一つとして捉えていないからだと思います。リルケから少し引用してみます。

愛することは決して、自らを開き、与え、第二の者と一体となることではありません(なぜなら、まだ浄化されていない者、未完成の者、まだ従属的な者の一体化など何になるでしょう?)、愛することは個々の人間にとって、自ら成熟すること、自らの内部で何ものかになること、世界になること、相手のために自ら世界となることへの崇高な機因であり、それぞれの人間に対する一つの大きな法外な要求であり、彼を選び取り広大なものへと招くある物です。(リルケ『若き詩人への手紙』)

僕はまだまだ未完成であり、もっと成熟した人間になりたいと願っています。そして、そのための手段は様々であって、何も恋愛だけが全てではないと思うのです。たとえば、僕が合気道を通じて得られた相手との間合いの計り方や、手品を通じて得られた相手の心理状態の把握の仕方といったものは、恋愛を通じて得られたそれに勝るとも劣らないと感じています。僕は、人生の活動から得られる経験は等価であって、何も恋愛だけが特権的なものではないと考えるのです。だから、僕は小手先の「モテ」のテクニックの習得のためだけに多くの時間やお金を割いているくらいなら、もっと有意義な活動をしたいと思います。僕の中で恋愛のプライオリティが低いのは、そういう理由だと思っています。

ただ、そのような態度は、恋愛からの「逃避」ではないかという非難の声も僕自身の中にあって、そのジレンマに悩まされていることはたしかです。同期の女子が『モテたい理由』を強制的に貸してくれたのは、逃避せずに女性誌でも読んでファッションとか恋愛関係のノウハウにもっと気を遣えというメッセージなのかもしれないなと勝手に推測しています。だとすれば、その目論見は成功したといえます。本書を読んで、とりあえず『FRaU』でも買ってみるかという気になったからです(笑)。人生経験の一つとして、今度の週末は女性誌でも読み込んでみることにしたいと思います。

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