『スカイ・クロラ』鑑賞
押井守監督の最新作『スカイ・クロラ』を観に行ってきました。
何はともあれ、圧倒的な空戦シーンの迫力に度肝を抜かれました。実写ではなく、アニメーションやCGでしか描けない構図と臨場感が素晴らしかったです。とにかく圧巻です。本作のような空戦シーンは映画館の大画面と大音量でこそ楽しめるものだと思いますね。「DVDで借りて観れば良いや」なんて思っている人には、是非とも映画館で観ることをオススメします。
また、僕の誤解かもしれませんが、本作は、押井守作品らしからぬ、わかりやすい人生讃歌が描かれていたと思います。押井守作品といえば、「5分で寝た」と揶揄されるほど衒学的で難解なセリフ回しが特徴的ですが、本作には、押井節溢れるセリフはそれほど多くなく、「生きる意味」とでも言うようなテーマとその回答をストレートに突きつけられる感じを持ちました。
ですので、空戦シーンの迫力と相まって、非常に観終わった後の印象がスッキリとして、爽快なものであったと思います。映画のパンフレットに、「僕はこの映画を通して、今を生きる若者たちに、声高に叫ぶ空虚な正義や、紋切り型の励ましではなく、静かだけれど確かな、真実の希望を伝えたいのです。」という押井守の言葉に掲載されていましたが、まさにそのような日常を生きる決意のようなものを、本作からは感じ取れたと思います。
実は、本作とは、もう少ししてから始動する予定のプロジェクトに関係して、仕事でちょっとだけ絡みがあるのですが、そういった分の贔屓目の補正を差し引いても、全体としてとても良い作品だったと思います。DVDが出たら、間違いなく買うと思いますね。なお、森博嗣の原作は一冊も読んだことはありませんでしたが、これを機会に読破してみたいと思っています。
「スカイ・クロラ」特設サイト:@nifty
http://anime.nifty.com/skycrawlers/
ちなみに、銀座の「丸の内TOEI」の朝一の11時からの会に行ったのですが、劇場公開されてからまだ1週間ですので、まだまだ相当混んでいるかなと思いきや、かなり席に余裕がありました。これから観に行こうという方は、ご参考としてください。
以下はネタバレを含みますので、未見の方はご注意ください。
さて、押井守作品は、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』『攻殻機動隊』『イノセンス』といったメジャーどころの映画作品は一通り観てきました。『スカイ・クロラ』には、それらのメジャーどころの作品においていつも表現されていた「虚構と現実の融合」「ループする世界」という特徴が、やはり基底音として描かれていたように思います。
表面上は「虚構と現実の融合」という特徴があまり強調されておらず、戦争というリアリズム溢れる描写がなされていると思います。その代わり、戦死しても蘇生し、永遠に戦い続けるキルドレという特異な設定により、「ループする世界」という特徴が非常に強調されていました。その結果として、キルドレの日常そのものが一回的な固有の「現実」としての生ではなく、記憶が曖昧なままに何度でも同じことを繰り返す「ループ」であるという構造的な描写がなされているのだと考えました。
登場人物がこの「ループ」性についてどの程度自覚的なのかを考えると、本作は理解がしやすいように思います。ちょっとセリフがうろ覚えなのですが、終盤の三ツ矢との会話の中で、函南は「記憶にモヤがかかっているみたいだ」というようなことを言っていました。このセリフは、函南が「ループ」に対して無自覚であることの象徴だと思います。
一方、三ツ矢は、草薙に対して殺意を抱きますが、これは三ツ矢が「ループ」に半分覚醒してきており、既に「ループ」を自覚してそこから抜け出している草薙に、嫉妬の念を抱いたからだと思います。
草薙が「ループ」を自覚してそこから抜け出していると考える根拠は二つあります。一つは、草薙がパイロットではなく、司令官であるということです。つまり、戦死して復活するという「ループ」に囚われている普通のキルドレとは違って、司令官である草薙は戦死することがないわけです。もう一つの根拠は、草薙に「娘」がいるということです。自分一人であれば「ループ」しているかもしれないという疑惑から抜け出せないかもしれませんが、成長する子供という明確な比較対象を身近に置くことで、直線的な時間軸を生きているのだということを実感できるのだと思います。まさに「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」という感じなのでしょう。「娘」が自分と同じ年齢になるのが怖いというセリフを草薙が言っていましたが、未知の現象に対する戸惑いというものはあるのでしょうが、むしろ草薙は「娘」から「ループ」から脱し得た安心感を得ていると言えるのではないでしょうか。
話が飛びますが、本作の「ループ」構造と、永遠に変わらない円環構造から抜け出し、自らの意思に基づいて自由な生を獲得するために「ティーチャー」との闘争を決意する函南という構図は、アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』を連想させるものだと考えます。『シーシュポスの神話』の趣旨を強引に要約すると、ギリシア神話において神から永遠の刑罰を課せられているシーシュポスは、一見すると悲惨な運命に永遠に縛られているように思われるけれども、実は、人は神の定めた運命の支配に屈することなく自らの生を主体的に引き受けて生きていけるのだという、人間の強さを体現しているのであるというものです。
本作における「絶対的父性」および「絶対的死」の象徴である「ティーチャー」は、さしずめ一神教的な「神」なのだと思います。そして、神殺しを決意する函南は、シーシュポス的な、人間としての生を主体的に引き受けた存在の象徴であると考えます。函南は最終的には「ティーチャー」に殺されてしまいますが、自分が必ず死ぬことという運命は変えられず、また蘇生して同じ生が無自覚に繰り返されてしまうかもしれないとしても、それでも「ティーチャー」を撃墜しようと決意した函南の意思の強さには、心打たれます。
このように考えてくると、本作の本質的なテーマは、代わり映えのしない毎日が何度も繰り返される日常生活と、その最終的な結末である死を自覚しても、それでもなお、一つの選択を主体的に行って、人生を一回的に生きていくことの困難さと尊さを訴えるにあるのだと思います。冒頭に引用した押井守監督の言葉にあるように、人生の自覚は絶望でもありますが、反面、希望でもあるわけなのです。函南のラスト近くのセリフ「いつも通る道でも違うところを踏んで歩くことができる。」は、そのような自覚的な生を選択した者の力強い意思の表れだと考えます。
最後に、本作の声優のキャスティングについて、ちょっとだけ苦言を呈しておきたいと思います。函南役の加瀬亮は『それでもボクはやってない』の演技が素晴らしかったですし、草薙役の菊地凛子も、『BABEL』は観たことがないのですが、アカデミー最優秀助演女優賞候補にノミネートされたくらいですから、演技の実力はスゴイのだと思います。ただ、表情や身体全体を使った表現ができる実写映画と違って、アニメは声だけですから、どうしても主役級の二人が声優としては慣れていない感じがしてしまいました。
アニメにはプロの声優を使ってほしいものです。声優は、その役者の顔がわからないから良いのだと思います。ジブリの『ハウルの動く城』のキムタクは、演技自体は上手かったと思いますが、どうしてもキムタクのリアルの顔が連想されてきてしまって、作品に素直にのめり込むことができにくいように思います。「山田康雄」と言われても顔が浮かぶ人は少ないと思うのですが、声を聴けば「ルパン三世」の顔がすぐ浮かぶくらいがちょうど良いのだと思います。俳優として有名人を使うことで作品の宣伝効果は上がるのかもしれませんが、作品の質が本当にそれで上がるのかは疑問と言わざるを得ません。
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コメント
ついに行ってきましたか!
押井氏が本作に込めたメッセージが、痛いほど胸に突き刺さりました。
Rivast的にはわかりやすかったかと思いますが、一般向けに見せる映画としては、ギリギリの難易度だと思いますw
声優については激しく同意。
ぽにょも同じだな。
投稿: うさミル | 2008年8月10日 (日) 01時25分
うさミルさん、コメントありがとうございます!
『スカイ・クロラ』は良い映画でしたね。もう一回くらい、映画館で観てみたい気もします。
陳腐かもしれないけど、押井守のメッセージをあえて単純化してみると、「日常は代わり映えがなくて退屈かもしれないけれども、そこには闘い甲斐のある事柄もあるし、心持ちをちょっと変えてみれば、有意義に生きられるかもしれないよ」って感じなんですかね。
本作に共感できたうさミルさんには『時をかける少女』がオススメですよ。
『ぽにょ』は来週観に行く予定です。こちらは自主制作映画みたいな感じという専らの評判ですが、どんなもんでしょうね……。
投稿: Rivast | 2008年8月10日 (日) 23時16分