2009年7月 7日 (火)

七夕考 4.罪から赦しへ

8ヶ月ぶりのブログ更新となってしまいました。最近はすっかりTwitterが流行りで、長文のブログなど読む人はあまりいないのかもしれませんが、ある程度まとまった自分の考えの備忘のためには、ブログというツールの有効性は減じていないと思っています。

この「七夕考」も、結局、1年ぶりの更新です。いつ考察が終了するのやらといった感じですが……。さて、第3回が七夕伝説における刑罰の目的や効果という刑事法的な観点からの考察でした。第4回の考察では、同じく七夕伝説の刑罰について、前回とはちょっと視点を変えて、刑事法というよりは法哲学的な観点から七夕伝説を考察してみたいと思います。

いきなり抽象論から入りますが、ある者が罪を犯して、その罪が赦されるまでには、原則として4つの段階を踏むと考えます。1.罪を犯すこと、2.罰を与えられること、3.罪を贖うこと、4.赦しを与えられることの4つの段階です。1と3が自律的な行為、2と4が他律的な行為となります。それぞれを詳しく見てみましょう。

第一段階は「罪を犯すこと」です。当たり前のように思われるかもしれませんが、「お前は罪を犯した」といくら他者から糾弾されようとも、自分自身がそれが罪になると認識しなければ、それは「罪を犯した」ことにはならないと思います。法律用語としての「確信犯」や責任故意・過失の論点ですね。罪を犯したことの自覚と言い換えても良いかもしれません。「罪を犯した」ことの自覚、それは非常に自律的な行為であると考えます。

第二段階は「罰を与えられること」です。第一段階と比較すると、こちらは非常に他律的な行為であると言えます。もちろん、罪の自覚なしに罰を与えられることはありますし、さらには冤罪のように罪を犯していないのに罰が与えられることすらあります。

第三段階は「罪を贖うこと」です。第一段階同様、自立的な行為です。そして、罪を犯した者自身にできることは、これだけです。赦しが与えられるか否かは、罪を犯した者には与り知らぬところなのです。彼/彼女にできるのは、ただひたすらに償い、贖うことだけです。そのような意味で、贖いとは無償の、ある意味では無益な行為であるとも言えます。とはいえ、たとえ無益であるとしても贖い続けること、そこに人間の実存の尊厳があると思うのです。カミュの『シーシュポスの神話』ですね。また、死刑制度存廃問題の大きな問題の一つは、死刑を執行されたらもはやそれ以上罪を贖うことができなくなるわけですが、それで良いのかという点にあるようにも思います。

第四段階は「赦しを与えられること」です。赦しは与えられないこともあります。他律的な行為ですが、赦しを与える主体とは誰であるのかという問いがあります。被害者かもしれませんし、その遺族かもしれませんし、あるいは社会であるとか、神であるかもしれません。

以上の4つの段階を七夕伝説にあてはめてみると、どうなるでしょうか?

第一段階の「罪を犯すこと」は、「織女と彦星が夫婦になってから以前のように勤勉には働かなくなったこと」です。ただし、織女と彦星に、それが罪であるという自覚があったか否かは不明確です。少なくとも、それが大罪であるという認識はなかったように思います。

第二段階の「罰を与えられること」は、「夫婦を別居させるが、7月7日だけは夫婦が逢うことを認める」というものです。ただし、罰が与えられる期間がいつまでかについては不明確です。

第三段階の「罪を贖うこと」および第四段階の「赦しを与えられること」については、七夕伝説からは明らかではありません。ここにこそ、七夕伝説について考察する意義があると考えます。罪を犯した場合、どのように贖えば良いのか、そして、赦しは誰からいかにして与えられるべきなのか。その2つの論点について自分なりの回答を示すこと、それがこの「七夕考」の最終目的であると考えています。

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2008年7月 7日 (月)

七夕考 3.七夕伝説の刑罰について

今日は2008年の七夕ですね。この七夕考も、前回の更新からちょうど1年近くも間が空いてしまいました……。本物の七夕同様、一年に一度のペースで更新されていることになりかもしれません(笑)。本当はもうちょっと定期的に考察を重ねていきたいのですが、やはりなかなか「ものを考える」時間がとれないのが正直なところです。とはいえ、第1回にも述べましたが、七夕考は僕の一生涯取り組むべき課題と認識していますので、じっくり腰を落ち着けて少しずつ歩を進めていきたいと思っています。

さて、七夕考第3回目は、七夕伝説における刑罰について漫然と考察してみたいと思います。あくまで考えてみるというレベルですので、結論めいたものは何一つありませんが、その点はご了承ください。

第2回でまとめたように、七夕伝説において織女と彦星が受けた刑罰とは、「夫婦を別居させ、労働に当たらせる。ただし、7月7日だけは夫婦が逢うことを認める」というものです。刑罰を受けることになった原因は、「元々は勤勉だった織女と彦星が夫婦になってからはイチャイチャしてばかりで働かなくなったから」とされています。とはいえ、別居させられた織女と彦星が勤勉に労働に従事していたかどうかについては、七夕伝説は何も述べていません。この空白の364日については、想像をめぐらせる余地が大いにあると思いますね。まだ漠然としたイメージでしかありませんが、この「七夕考」の完成型は、7月6日を前日に控えた織女と彦星の心境を浮かび上がらせるような刑事法哲学的エッセイにしたいなと思っています。

まず、上述のような七夕伝説の刑罰は、憲法第27条第1項に規定される「勤労の義務」の刑事実体法への(あくまでフィクションとしての)表れとも捉えることもできなくはないように思います。共同体の運営・維持にはその共同体の構成員の協力が不可欠である以上、共同体構成員が非協力的である場合に一定のサンクションを課すという考え方自体は十分に理解できるものです。七夕伝説が成立した時代には、構成員全員の協力が現代よりも遙かに必要だったのでしょう。

しかしながら、現行の日本国憲法における「勤労の義務」はあくまで精神的努力目標のような規定であると考えます(僕は、国民の義務のメインは、あくまで納税と教育にあると考えています)。従って、現行法上、軽犯罪法により乞食が禁止されていますが、それを超えて、働く能力があるのに働く意思がない人に対して刑罰を課すことは認められるべきではないと考えます。後述のように、刑罰の目的を考慮した場合、「勤労の義務」に違反しているからといって、軽犯罪法の予定する刑罰である「拘留又は科料」以上の刑罰を課すことは避けるべきだと思います。だから、七夕伝説を現代的に解釈する場合に「勤労の義務」とのアナロジーを重視しすぎると、ナショナリスティックな言説に絡め取られてしまう危険があると思っています。

次に、七夕伝説の刑罰の目的について考えてみたいと思います。一般的に、刑罰を課す目的には、(1)応報、(2)一般予防、(3)特別予防の3つがあると考えられています。(1)応報とは、読んで字のごとく、「目には目を」的な犯した罪に対応する報いとして刑罰を課すということです。なお、「目には目を」という同害報復の原則は、課される刑罰は犯した罪と同じレベルまででなければならないという考え方であって、復讐のレベルが際限なく上がってしまうことを防ぐ目的を有していることには留意する必要があります。(2)一般予防とは、社会一般に対して「この犯罪を犯すとこういう刑罰を受けることになるんだ」ということを知らしめることで、犯罪の発生を一般的に予防しようということです。(3)特別予防とは、犯罪を犯した人に刑罰を課すことで、その人が同じ犯罪を犯さないように教育しようということです。

さて、上記(1)から(3)のような刑罰の目的に照らした場合、七夕伝説における刑罰はどこまで正当なものなのでしょうか?結論から言えば、第2回で軽く述べたように、七夕伝説の刑罰は、(あくまで現代的視点からすれば)効果として過度に強力であり、不当であると考えています。

(1)応報の観点で考えると、夫婦強制別居という刑罰を課すことによって守ろうとする法的な利益(これを専門用語で「保護法益」といいます)が共同体の維持であると考えた場合、共同体維持に協力しないフリーライダーを矯正することは必要な行為であると考えますが、刑罰の期間が不明確であること(少なくとも数百年以上の刑期であると考えられます)を鑑みると、保護法益に比較して刑罰の内容が重すぎるようにも思います。この点は(3)特別予防とも関係してきますが、要するに、織女と彦星はいつまで離ればなれになっていなければならないのでしょうか?この疑問は、たとえば、性犯罪者の所在地が情報公開されるミーガン法の適用期間はいつまでなのか(アメリカでは州によっては一生というところもあるようです)という論点ともリンクしてくるように思います。七夕伝説における保護法益は社会的法益のように考えられるので、簡単に比較考量できないのが難しいですが……。

(2)一般予防としては、織女と彦星が強制的に別居させられることで、それを見た天の他の夫婦やこれから夫婦になろうとする者が勤労の念を新たにするという効果はあるのだろうと思います。とはいえ、やはり刑期が未定であることが、犯した罪と課される刑罰のアンバランスさを感じさせているように思います。七夕伝説の刑罰には、「赦し」の契機がないように思えてなりません。七夕の逢瀬はあくまで一時的なものであって(いわば囚人との面会)、本質的な刑の終わりではありません。一罰百戒という側面もあるのでしょうが、度を超した刑の重さは恐怖政治の表れであるように思います。それとも、天界はそんなにも怠慢な人たちばかりいるところなのでしょうか?そうだとすれば、それはそれで人間的で親しみ深いようにも感じますね。

(3)特別予防という観点では、やはり刑期の長さがネックであると思います。もともとがまじめな働き者であったという織女と彦星のことですので、新婚で浮かれていたとはいえ、長くても2年くらい離ればなれにさせれば(別居と逢瀬を2回くらい経験させれば)、もう懲りて仕事をほっぽらかしてまでイチャイチャしようとはしないと思います。つまり、七夕伝説の刑罰は特別予防として必要だと考えられる程度を超えた刑罰となっているように思うのです。刑期が未定で、おそらくは永遠であると思われることは、第1回で触れたシーシュポスと似たようなニュアンスを感じます。しかし、シーシュポスの刑罰は具体的な社会規範違反というよりも非常に抽象的な人間の実存に直結するものであるように思われる一方で、七夕伝説における刑罰は単に共同体のルールに違反したというような道徳的・教訓的な位置付けが強いように思います。そのような共同体のルール違反の結果が永遠の刑罰であるということは、東洋における共同体重視の発想を根底に持つものなのかもしれませんね。

かなり当てずっぽうで強引なまとめ方となってしまいましたが、とりあえず今回の考察についてはここまでとしたいと思います。なるべく近いうちに、続きを書きたいものです。

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2007年7月30日 (月)

番外編 土用丑の日について

今日は土用丑の日でしたね。せっかくですから、ちょっと奮発して残業の夜食にうなぎのおにぎりでも食うかと思ってコンビニに行ったら、お目当てのうなぎおにぎりは既に売り切れていたのでした……。気を取り直して、今日は「七夕考」の番外編として、土用丑の日に関する考察を少しく述べてみたいと思います。

まず、「土用」とは何でしょうか?

これは古代中国の陰陽五行思想に基づく用語です。陰陽五行思想とは、「木・火・土・金・水」の5つの自然的要素の移り変わりによって、万物を説明せんとする思想を言います。日本にも輸入されて、「陰陽道」の基礎になりました。少し前に流行った安倍晴明のアレですね。

さて、陰陽五行思想では、季節の移り変わりも5つの要素の変遷によるものと捉えるわけです。しかし、季節は「四季」という言葉の通り、4つしかありません。とすると、5つの要素のうち、1つだけ余ってしまうわけです。それでは大変困るわけで、じゃあ昔の中国の偉い人はどう解決したかというと、季節と季節の間に「季節の変わり目」という5つ目の季節を導入することにしたのです。

季節はスイッチを入れるようにある日突然変わるわけではなく、次第に春が弱まってきて代わりに夏が強くなってくるといったように、一つの季節が死んで、入れ替わりに新しい季節が生まれてきます。そのような「死と再生」を「土」の要素に託すことにして、季節の変わり目を「土用」と呼ぶようになったのです。このように、「土」に「死と再生」のイメージを読み込む発想は、西洋と東洋で共通しているかもしれませんね。

だから、一年には「土用」が4回あります。春と夏の間、夏と秋の間、秋と冬の間、冬と春の間です。一般的に言われる「土用丑の日」とは、夏と秋の間の「土用」を指すものなんですね。現代の感覚からすると、旧暦との違いはあるにせよ、まだ8月にもなってないのに「季節の変わり目」かよ!という感じですが、まあこれから段々と夏が弱まっていくというイメージで捉えればまだ理解しやすい気がします。東京の残暑は厳しいので、とてもそうは思えませんが……。

では、なぜ土用丑の日にうなぎを食べるのでしょうか?

これは結構有名な話だと思いますので、知っている方も多いかもしれませんが、「エレキテル」の発明などで有名な平賀源内が言い出したことが始まりなのだそうです。

夏場に客足の遠のいたうなぎ屋が源内に売上アップの方法について相談したところ、源内は、「丑(うし)の日」に「う」の字から始まるものを食べると夏バテしないという民間伝承を参考にして、鰻屋に大きな看板を出すように勧めました。すると、有名な平賀源内が言うことだからとお客が殺到し、これを見た他のうなぎ屋も同様のサービスを始めたことから、広く風習として定着したということです。

現代で言うと「バレンタインデー」に近いかもしれません。平賀源内はコンサルタントとしても優秀だったのですね。

うなぎは栄養価の高い魚だそうですので、平賀源内が言い出したことかどうかは別にしても、夏バテ防止には格好の食材のようです。しかし、最近は、地球規模の気象変動により、うなぎの稚魚の漁獲量が減っているそうです。日本人としてはうなぎが食べられないのは困りますね。こんなことを書いていたら、うなぎが本当に食べたくなってきました。今度、このお店に行ってみようと思っています。

大森 野田岩 地図・地域ガイド:@nifty
http://maps.nifty.com/cs/catalog/map_spot/catalog_13008291_1.htm

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2007年7月 9日 (月)

七夕考 2.七夕伝説について

七夕考2回目の今回のエントリーは、七夕をテーマにした刑事法哲学的エッセイを書く際の土台となる「七夕伝説」について、まとめておきたいと思います。Wikipediaの記述が比較的まとまっていると思いますので、参考にします。

七夕 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95

1.なぜ七夕を「たなばた」と読むのか?

本来、七夕は、3月3日の桃の節句や、5月5日の端午の節句や、9月9日の重陽の節句と同様に、中国伝来の暦上の風習である「節句」の一つである。それが、日本神話の棚織津女(たなばたつめ)の伝説と習合したため、「たなばた」と読むようになったのである。棚機津女(たなばたつめ)の伝説は、『古事記』に記されているもので、村の災厄を除いてもらうため、水辺で神の衣を織り、神の一夜妻となるため機屋で神の降臨を待つ巫女に由来するものである。

2.織女と彦星の伝説とは?

織姫(織女星、こと座のベガ)は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。牛飼いである彦星(牽牛星、わし座のアルタイル)もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。二人はめでたく夫婦となったが、夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、彦星は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離したが、年に一度、7月7日だけ会うことを許されていた。しかし、7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず彦星も彼女に会うことができない。その時は、二人を哀れんでどこからか無数のカササギがやってきて、天の川に自分の体で橋をかけてくれるという。

以上がいわゆる「七夕伝説」の骨子であるが、いくつかの疑問がある。

第一に、天帝とは道教における最高神(もしくはそれに近い存在)であると思われるが、織姫がその娘であるという確かな出自を持っているのに対し、彦星は出自が定かではない。昔の身分制社会において、単に働き者だからという理由だけでもって、織姫と彦星が結婚できた理由が不明確である。この点、彦星の出自は、ギリシア神話におけるパリスの出自に近いものがあるのだろうか?

第二に、なぜ二人を物理的に隔離する必要があったのか、不明である。現代的な視点なのかもしれないが、仕事をしない人に仕事をさせるのであれば、たとえば「間接強制」のように、仕事をしない分だけ金銭的なペナルティを課す等、他にもやりようはあるわけであり、それがいきなり二人の仲を裂いてしまうというのは、刑罰の効果としては過度に強力であると考える。この点、天帝がここまで重い罰を課した背景に、第一点目の疑問で推測したような彦星の出自の問題があり、意図的に織姫から遠ざけた可能性を見いだすことも不可能ではないように考える。

3.なぜ笹に願い事の短冊を飾るのか?

Wikipediaの解説によれば、「笹は精霊(祖先の霊)が宿る依代が起源だと考えられている」とのことだが、上記の七夕伝説には、願い事が叶うという要素が見られないように思われる。年に一度だけ会えるというのは、天帝の課した刑罰の効果の一面であって、織姫と彦星の願いの結果ではないと考える。一方で、棚織津女(たなばたつめ)の伝説は、「災厄を除く」という願いをかける要素がある。とすれば、短冊の起源になったのは、後者だろうか?Wikipediaの「短冊などを笹に飾る風習は、江戸時代から始まったもので、日本以外では見られない」という記述も傍証となるように思う。

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2007年7月 7日 (土)

七夕考 1.序論

今日は七夕ですね。僕には夢があります。いつか七夕をテーマにした刑事法哲学的エッセイを書いてみたいという夢です。

法律エッセイというと、穂積陳重の『法窓夜話』ですとか、佐藤道夫の『検事調書の余白』ですとか、有名かつ非常に勉強になる著書が沢山あります。それらの著作からは法律というものの考え方を多く学ばせていただきましたが、一方で、それらの著作は実学的な面が強いというか、まさに社会規範としての法律のあり方を実際的に語っているのであって、思想的、法哲学的な考察にはいささか不十分な点があると思います。

ところで、僕の人生に大きな影響を与えた著作として、カミュの『シーシュポスの神話』や中島敦の『悟浄出世』『悟浄歎異』といった作品があります。

『シーシュポスの神話』はギリシア神話の登場人物であるシーシュポスについて、実存主義哲学の視点から述べたエッセイです。シーシュポスとは、賽の河原的な永遠の刑罰に処せられている罪人です。シーシュポスの刑罰とは、大きな岩を、自分の手だけで急峻な山の頂上に転がして据えるというものです。しかし、ひとたび頂上まで転がし上げたとしても、頂上は非常に急勾配なので、たちまち岩は転がり落ちてしまうのです。したがって、シーシュポスは、何度でも岩を頂上まで転がしていくという無益な重労働を繰り返さないといけないわけです。一見すると苦役にしか思えないシーシュポスに、実存主義的な観点から、人間としての尊厳を見出した非常に感動的な作品です。

『悟浄出世』『悟浄歎異』は、西遊記の登場人物のなかで一番マイナーな沙悟浄に視点を当てた作品で、沙悟浄が玄奘法師に従って旅に出る由縁と、旅に出てからの孫悟空と猪八戒と玄奘法師の観察記録という体裁になっています。沙悟浄は積極的な行動のできない、一線を引いた観察者として描かれています。そうして一歩下がった視点で、自身の行動と旅の仲間について、哲学的な考察をしています。

あるいは、イェーリングの『権利のための闘争』でも、シェークスピアの『ベニスの商人』について、法律的な観点から考察をしていますが、そういった古典に題材をとった哲学的エッセイに憧れがありまして、自分でもそのような法哲学的エッセイを書いてみたいと思っていました。

法哲学的エッセイといっても幅が広いですが、僕は井田良ゼミの末席を汚していた身ですので、刑事法的な観点から述べられれば良いなと思っています。もちろん、一朝一夕には書けないものだと思いますので、とりあえず、今回のエントリーはその初回として、所信表明だけで終わりとしますが、ライフワーク的に長い期間をかけてじっくりと完成させていきたいと思います。

七夕 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95

図書カード:法窓夜話
http://www.aozora.gr.jp/cards/000301/card1872.html

図書カード:悟浄出世
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/card2521.html

図書カード:悟浄歎異
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/card617.html

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