2007年8月 6日 (月)

目には目を、歯には歯を

法諺第3回目は、ハンムラビ法典の有名な一文「目には目を、歯には歯を」を取り上げてみたいと思います。あまりに有名すぎて、これが法諺なのかと訝しむ方もいらっしゃると思いますが、この言葉は、いわゆる「罪刑法定主義」を明示したものであり、その重要性は現代においても全く色褪せるものではないと考えます。

ハンムラビ法典 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%93%E6%B3%95%E5%85%B8

上記のWikipediaにもちゃんと書いてあるのですが、そもそも「目には目を、歯には歯を」は、「やられたら徹底的にやり返せ」とでもいった「力こそ正義」的な野蛮な原則の表明ではありません。そうではなくて、「同害報復の法理」(別名「タリオの法理」ともいいます)と呼ばれる法原則を明文化したものなのです。タリオの法理とは、ある被害を受けたら、その報復として行なうことが認められるのは、その被害と同じ程度までの反撃であるという原則です。

つまり、目を潰されたら、やり返して良いのは相手の目を潰すところまでであって、それ以上痛めつけて相手を殺してしまったりするのは禁止するという意味になります。このようなタリオの法理が必要になる理由は、自分が被った害以上の報復を認めてしまうと、果てしない暴力の連鎖が生じることになってしまい、結果として、社会秩序が維持できなくなるというところにあります。

そして、ハムラビ法典に端を発するタリオの法理は、形を変え、洗練されて、「罪刑法定主義」として、現代の日本の刑法にも受け継がれています。罪刑法定主義とは、犯罪とされる行為、および、それに対して科される刑罰を、予め、法律で規定しておかなければならないとする原則をいいます。何をすれば犯罪となり、その結果としてどのような刑罰を科されるのかが予め明確にされていますので、逆に考えれば、そのような行為以外は犯罪とはならないわけですから、人々の行動の自由が保障されるというわけです。そして、ある行為に対して課される刑罰が明示されていますから、恣意的な処罰が行なわれなくなり、平等も達成されることになるのです。

罪刑法定主義 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BD%AA%E5%88%91%E6%B3%95%E5%AE%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9

ハムラビ法典における「目には目を、歯には歯を」の原則も、上記のような自由と平等を図る目的の規定でした。とはいえ、バビロニアの時代は、現代ほど平等な社会ではありませんでした。つまり、奴隷制度が存在しましたので、ハムラビ法典もそれに応じて、「目には目を、歯には歯を」の原則を完全に平等に適用していたわけではありませんでした。市民が奴隷の目を潰したりした場合は、罰金を払えばそれで済んでいたそうなのです。その点には留意すべきであると考えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月23日 (月)

in dubio pro reo

第2回目の法諺は、ちょっと衒学ぶってラテン語の法格言「in dubio pro reo」にしてみたいと思います。「in dubio pro reo」とは、「疑わしきは罰せず」の意味であり、刑事訴訟における重要な原則を表したものです。「疑わしきは被告人の利益に」とも言います。

刑事訴訟法第336条は、「被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない」と定めています。この条文を裏側から解釈すると、刑事訴訟においては、訴追者たる検察官が挙証責任を負っており、「合理的な疑い」が差し挟まれないまで、被告人の有罪性が立証されない場合は、被告人は無罪となることになります。

この「in dubio pro reo」の原則を一言で言い表せば、「裁判で有罪判決を受けるまでは、被告人を犯罪者扱いしてはいけない」ということです。日本の刑事訴訟は有罪率が99%を超えていますので、被告人≒犯罪者という図式が当然のものとしては受容されていますが、あくまで有罪と認定されるまでは、被告人は犯罪者ではないのです。2年後の2009年5月から、一般市民が刑事訴訟に参加し、職業裁判官とともに裁判を行う「裁判員制度」がスタートしますが、それまでに「in dubio pro reo」の原則が浸透しなければ、「裁判員制度」が単なる有罪認定装置となってしまうのではないかと危惧しています。

この点、「疑わしきは罰せず」の原則を見事に描いたのが、陪審員映画の傑作『十二人の怒れる男』です。最高裁は、「裁判員制度」のPRのためにメルマガを発行したりと色々な広報活動をしていますが、そんなことよりもNHKに毎週『十二人の怒れる男』を放送させたほうがよっぽど効果的なんじゃないかと思ってしまいます。未見の方は是非とも一度鑑賞してみてください。

裁判員制度についてどう思いますか? : アバウトミー - 自分発見プロフィール : @nifty
http://aboutme.jp/question/show/4583

十二人の怒れる男 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%80%92%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%94%B7

ちなみに、ラテン語の格言で一番好きなのは、「Calamvs Gladio Fortior」で、すなわち「ペンは剣より強し」です。母校の大学の校章に刻まれている文言で、こうして学問とかいうものから遠ざかった今となってみると、不思議と懐かしく思い出されてきます。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年7月16日 (月)

私はあなたの意見に全く賛成できないが、あなたが自身の意見を述べる権利は死んでも守るだろう。

「法諺(ほうげん)」とは、読んで字の如く、法律にまつわることわざです。

先日、会社の他部署との情報共有会で、自分の部署を紹介するときの戒めの言葉として、「良き法律家は悪しき隣人」という法諺を引用したところ、これがごく一部で評判が良かったので、調子に乗って、これから何回か法諺のご紹介をしていきたいと思います。『法律学用語辞典』などを読むと、法諺もちゃんと載っているのですが、法律家の間でも意外に知られていないような気がしています。

ちなみに、「良き法律家は悪しき隣人」という法諺は、『朝まで生テレビ』でもお馴染みの憲法学者・小林節教授が講義の中でしげく述べられていたお言葉で、節教授のお人柄ともあいまって、とても印象に残っているものです。元ネタはイギリスの古い法諺のようですね。これは我が身を省みる際にも常に意識したい言葉だと思っています。

さて、今日は第一回目ですので、最高法規である憲法にまつわる法諺を一つ。

私はあなたの意見に全く賛成できないが、あなたが自身の意見を述べる権利は死んでも守るだろう。

この言葉は、18世紀の啓蒙主義哲学者ヴォルテールの言葉です。特に解説はいらないと思いますが、「表現の自由」であるとか、自由主義であるとかいったものの本質を見事に捉えていると思います。ヴォルテールの死後2世紀以上が経った現代においても、この言葉の重要性はいささかも減じていないように思います。

あと、法律とは関係がないですが、僕の好きなヴォルテールの言葉です。他にもアフォリズムに満ちた言葉をいくつも残しており、ショーペンハウエルに通じる面もあるような気がします。

神は現世におけるいろいろな心配事の償いとして、われわれに希望と睡眠を与えた。

歴史とは犯罪と災難の記録にすぎない。

幸福は夢に過ぎず、苦痛は現実である。

ヴォルテール - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB

| | コメント (0) | トラックバック (0)