DVD『武士の一分』を鑑賞しました。紹介の必要はないと思いますが、『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』に続く、藤沢周平原作の山田洋次監督の時代劇映画三部作の最終話になります。主役に木村拓也を抜擢したことでも話題になりましたよね。
武士の一分
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結論から述べれば、自分の人生を見つめなおさせてくれる、とても面白い映画だったと思います。しかし、三部作の中では、いずれも甲乙つけがたいのですが、おそらく三番目に好きな作品ということになってしまうと思っています。
「一分(いちぶん)」とは、人が命をかけても守らなければならない名誉や面目のことだそうです。この映画を観て自問自答してみたのですが、僕は、自分自身の中には守るべき一分を見出すことができませんでした。これまでの人生で、時間と労力を費やして努力してきたものはいくつかあります。たとえば合気道がそうですし、法律の勉強もそうです。しかし、所詮、僕の合気道の稽古などたかが知れたものですし、法律に至っては僕は惨めな落伍者です。そのことを嘲笑されればもちろん怒りはするでしょうが、僕を嗤った者を刺し違えてでも殺そうとは思わないでしょう。なぜなら、努力しなかったといえば嘘になりますが、それでも自分のどこかに、まさに中島敦の言葉にあるように、「才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが」あったことを自覚しているからです。だからこそ、本作の主人公のように、命を賭けてでも守ろうと思えるものがあるということ、そのこと自体に深い憧憬の念を抱きますし、耐えられないような逆境にあっても、そういう生き様を貫く姿勢は、まさにあるべき理想なのだろうと思います。
さて、そんな恥ずかしい自分語りはともかく、本作の感想に話を戻しますと、キムタクは、良い意味でも悪い意味でも、華があるなあという印象を受けました。キムタクは演技も上手いと思いますし、何よりカッコイイですから、キムタクがいるだけで画面が華やかになるような気がします。しかし、本作のような、地方の小藩の下級武士という配役であっても、「綺麗な感じ」が残ってしまうというか、下級武士の貧しさみたいなものがあまり感じられない気がしてしまうんですよね。『たそがれ清兵衛』の真田広之や『隠し剣 鬼の爪』の永瀬正敏が持っていたような「泥臭さ」みたいなものに欠けるきらいがあるように思います。
ところで、本作は、三部作のなかで一番チャンバラのシーンが少なかったと思います。藤沢周平の原作を読んでいないので、原作ではどのような描写がなされているのか知らないのですが、やはり盲人の剣ということで、画面栄えするような派手な殺陣のシーンを演出しづらかったんでしょうか。決闘のシーンでも、飛び降りて切りかかる敵をどうやって察知できたのかがよくわかりませんでしたので、偶然で勝ってしまったみたいな感じがしてしまい、何となくカタルシスが得られにくかったです。描写があったかどうか記憶が定かではないのですが、師匠から極意を教わっていたんでしょうか……?
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