2008年4月18日 (金)

赤坂真理『モテたい理由』読了

赤坂真理『モテたい理由』(講談社現代新書1921)を読了しました。普段の僕であれば、こういうタイトルの本はそもそも眼中にないのですが、会社の同期の女子に「強制的に」貸してもらいましたので、強制レンタルの意図が奈辺にあるのかと勘繰りながら読んでみました。ちなみに、僕は著者の赤坂真理については「小説家である」というくらいの知識しかなくて、その著書を読んだことはありません。

本書は大きく二つの部分に分かれていて(ページ数的には8対1くらいですが)、前半が『JJ』や『CanCam』等の女性向け雑誌から分析される「モテ」の分析、後半が自己のアメリカ留学体験等を通じた戦後日本に対する考察となっています。ただ、この二部制が功を奏しているとはとても思えなくて、前半ではそこそこ客観的に男女の「モテ」に対する検討をしているのですが、それが何の脈絡もなく後半の自分語りにつながるので、両者のギャップに戸惑ってしまいます。最終的に、後半の自分語りの知見が前半の「モテ」の分析に還元されているわけでもないですし、正直言って、後半の存在意義が不明確です。

とはいえ、前半の女性誌の分析は、『CanCam』なんぞ手に取ったことすらない僕にとってはなかなか新鮮で興味深かったです。女性誌を具体的に例示しながら恋愛資本主義と呼ばれるものの本質を洞察する読物としては、手軽でまとまっていると思います。ただ、洞察の端的な結論や「だからどうすれば良いのか」という具体的な解答が明示されているわけではなく、主観的な思い込みともとれる意見がダラダラと続いているだけなのがちょっと残念です……。僕なりに前半の内容をざっくりと要約すると、大体こんな感じです。

  • 女性誌には、良い家柄のお嬢様で、自分の希望の職種について責任ある仕事を任されていて、ステキな彼もいて、結婚・出産もしてという女性としての最高の幸福を体現したようなファンタジーとしてのライフスタイルが展開されており、読者がそのようなライフスタイルを体現するための様々なファッションやノウハウが紹介されている。
  • しかし、男性の側は、女性誌のファッションやノウハウに感化されることはほとんどない。むしろ、そのようなファッションやノウハウに価値を見出すのは、女性誌の読者が嫌悪するオタクである。
  • オタクは恋愛資本主義が要求する果てしのない「モテ」へのコミットから「降りる自由」を行使した者たちであると言える。一方、女性誌の読者が恋愛資本主義にコミットせざるを得ないのは、女性の自立が進んできたとはいえ、まだまだ日本社会は男性中心社会であり、女性が生存するためには恋愛という「関係性」において勝利する必要があるからである。
  • そのような意味で、女性誌の読者とオタクとは、あえて敷衍すれば、現代の女性と男性とは、ともに戦後日本社会の恋愛資本主義の一つの到達点である「モテ」という幻想に振り回されている被害者であると言える。

ところで、僕はいわゆる「モテ」のテクニックやノウハウにあまり興味が持てず、男女の恋愛というものにも消極的です。そのような態度の原因はどこにあるのだろうと自己分析してみると、大きな観点での自分の人生の目的を、自己の完成や人格の陶冶といったある意味でエゴイスティックなところにおいており、恋愛をその目的に至るためのいくつもある手段の一つとして捉えていないからだと思います。リルケから少し引用してみます。

愛することは決して、自らを開き、与え、第二の者と一体となることではありません(なぜなら、まだ浄化されていない者、未完成の者、まだ従属的な者の一体化など何になるでしょう?)、愛することは個々の人間にとって、自ら成熟すること、自らの内部で何ものかになること、世界になること、相手のために自ら世界となることへの崇高な機因であり、それぞれの人間に対する一つの大きな法外な要求であり、彼を選び取り広大なものへと招くある物です。(リルケ『若き詩人への手紙』)

僕はまだまだ未完成であり、もっと成熟した人間になりたいと願っています。そして、そのための手段は様々であって、何も恋愛だけが全てではないと思うのです。たとえば、僕が合気道を通じて得られた相手との間合いの計り方や、手品を通じて得られた相手の心理状態の把握の仕方といったものは、恋愛を通じて得られたそれに勝るとも劣らないと感じています。僕は、人生の活動から得られる経験は等価であって、何も恋愛だけが特権的なものではないと考えるのです。だから、僕は小手先の「モテ」のテクニックの習得のためだけに多くの時間やお金を割いているくらいなら、もっと有意義な活動をしたいと思います。僕の中で恋愛のプライオリティが低いのは、そういう理由だと思っています。

ただ、そのような態度は、恋愛からの「逃避」ではないかという非難の声も僕自身の中にあって、そのジレンマに悩まされていることはたしかです。同期の女子が『モテたい理由』を強制的に貸してくれたのは、逃避せずに女性誌でも読んでファッションとか恋愛関係のノウハウにもっと気を遣えというメッセージなのかもしれないなと勝手に推測しています。だとすれば、その目論見は成功したといえます。本書を読んで、とりあえず『FRaU』でも買ってみるかという気になったからです(笑)。人生経験の一つとして、今度の週末は女性誌でも読み込んでみることにしたいと思います。

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2007年10月31日 (水)

『「中つ国」歴史地図』読了

カレン・ウィン・フォンスタッド著『「中つ国」歴史地図』を読了しました。『指輪物語』の作者J.R.R.トールキンの創作した神話世界「中つ国」(英語ではMiddle-Earth)の地図を、第一紀、第二紀、第三紀という神話上の歴史ごとに取りまとめた作品です。都市の俯瞰図だけでなく、「中つ国」の気候、人口分布、言語、植生なども地図化されています。他に類を見ない労作であり、トールキン・マニア必読の書であると言えると思います。

@nifty Books~アット・ニフティブックス:「中つ国」歴史地図 トールキン世界のすべて
http://nifty.bk1.jp/product/02127959

先日、簡単な感想文をアップした『終わらざりし物語』同様、トールキン・マニアのためだけの本ではありますが、それだけに物凄い充実度で、圧倒されてしまいました。著者は地理学の教授でもあるため、本書の地図の精密度、正確性には舌を巻きます。『指輪物語』は膨大なページ数を誇る大作であるだけでなく、個々の場面の描写が非常に緻密なため、ともすれば、それが一体どこで起こっている事件なのか、登場人物が向かおうとしているのはどこなのか、そういったことがわからなくなってくるきらいがあると思います。その点、本書を読むと、それらの地理的な疑問が氷解されます。まさに一目瞭然です。

Rivastの朱夏日乗: 『終わらざりし物語(上・下)』読了
http://rivast.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_b8c9.html

やはり活字だけでは具体的なイメージが掴みにくい点は否定できないと思いますので、本書のような視覚化は大切だなと思います。もっとも、視覚化も良し悪しで、下手にメディアミックスされて漫画化されたり映画化されたりすると、本当に酷い作品になってしまう危険があります。たとえば、アニメ版『指輪物語』は、前半部分はともかく、後半は角笛城の戦いで唐突に終わってしまったりして、意味不明な作品になってしまいました……。アカデミー賞を総なめしたピーター・ジャクソンの『ロード・オブ・ザ・リング』三部作ですら、僕には原作とのイメージの違いが気になってしまうものでした。

そう感じてしまう理由をつらつら考えてみるに、活字の場合は、全ての情景を自分自身で想像しなければならないため、まさにその作品を他人とは共有できないまさに自分自身のものとして味わうことができるわけですが、そのような自由度、オリジナリティが、映画や漫画等の視覚化されたメディアにはないことが一番大きな理由かなと思います。

そういえば、ちょうどこのエントリーを書いている現在、自宅のすぐそばで水道管の工事をしています。そのせいで、夜中から早朝まで断水となり、シャワーを浴びられないどころか、トイレにもいけない始末です。仕方ないので、今日は早めに寝ちまうことにします。

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2007年10月22日 (月)

南條範夫『新装版 駿河城御前試合』読了

山口貴由のマンガ『シグルイ』の原作である、南條範夫の『新装版 駿河城御前試合』を読了しました。久しぶりに面白い剣豪小説を読みました。大満足です。

@nifty Books~アット・ニフティブックス:駿河城御前試合 新装版 徳間文庫
http://nifty.bk1.jp/product/02594687

本書は、駿河大納言・徳川忠長の御前で行われた(とされていますけど、史実なのか創作なのかは不明)、剣豪たちの命懸けの死闘を描いた短編集です。死闘とはまさに文字通りの意味合いです。というのも、普通は御前試合では木刀を用いるので、負けたからといって、多少の怪我はあるにしても、死んでしまう可能性は低いのです。ところが、駿河城御前試合においては真剣を用いた試合が行われたので、11番ある勝負ではことごとく死人が出るのでした。

そのため、本書は緊張感と凄惨さにまみれているわけですが、全てが一瞬で決着が着くという構造のため、一種独特の爽快感すら感じることができます。また、本書は短編集のため、全体では500ページ以上ありますが、各話は40ページ前後しかないので、さらさらと読み進めることができます。そのことも、ともすれば残酷になりがちな雰囲気を爽快さに変えることに役立っているように思います。

さて、本書を読もうと思ったきっかけは、もちろん『シグルイ』が面白すぎたからですが、『シグルイ』と読み比べてみた感想としては、甲乙付けがたいながらも、個人的には『駿河城御前試合』の方が僕の好みには合っています。なぜかというと、『シグルイ』は『駿河城御前試合』よりも残酷さと狂気の描き方が格段に激しくなっており、まさにそれこそが『シグルイ』の面白さではあるのですが、いささか胃もたれしすぎる感がなきにしもあらずという気がします。

その点、『駿河城御前試合』は、短編集であるので詳細な描写があるわけではないのですが、その分、余韻が大きいというか、山水画のように空白であることが想像力をかきたてるところがあるように思います。僕は映画やマンガと違って、視覚的な情報が少ない分、読者が自由に想像できる範囲の大きい小説の方が嗜好にあっていますので、『駿河城御前試合』が『シグルイ』よりも好ましく思えたという次第です。

逆に言うと、本来は淡白な『駿河城御前試合』を、あそこまで奔放にアレンジしている山口貴由のクリエイティビティは物凄いのだと思います。たとえば、『駿河城御前試合』では、徳川忠長も『シグルイ』ほど狂気をはらんだ君主ではありませんし、もちろん岩本虎眼も曖昧な精神状態にあるわけではありません。また、『駿河城御前試合』では、必殺技「星流れ」も具体的にどのような技であるかの描写はないのですが、『シグルイ』では独自の理論に基づく技が解説されています。このあたりの創造力は真に敬服に値します。

ちなみに、『シグルイ』に影響されて、「星流れ」が本当に実現可能な技なのか、検証したことがあります。もっとも、真剣は持っていないので木刀で代用しました。木刀の重さはちょうど1kgで、日本刀も重さは大体同じくらいらしいので、うってつけです。結果は、とても無理ということがわかりました。合気道をやっているので握力は特に弱い方だとは思わないのですが、人差指と中指だけで全力で振りぬく刀を保持するのは不可能に近いです。あくまでマンガの中での必殺技ということなんでしょうね……。

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2007年10月 8日 (月)

『タイムマシン開発競争に挑んだ物理学者たち』読了

ジェニー・ランドルズの『タイムマシン開発競争に挑んだ物理学者たち』を読了しました。本書は、「タイムマシン開発」という夢の実現のために、名だたる物理学者たちが行った数々の思考実験や実際のマシンの試作についての物語です。全24章からなる本書は、ギリシア時代の哲学者ゼノンの有名な「アキレスとカメ」のパラドックスから始まって、アインシュタインの相対性理論、「シュレディンガーの猫」、ホーキングのブラックホール理論等の20世紀の理論物理学と量子力学の目覚しい発展を概観した後、21世紀の最新の理論を紹介するものです。といっても、いわゆる「数式」は一切登場せず、映画や小説のエピソードを多用しながら、平易に解説しています。

@nifty Books~アット・ニフティブックス:タイムマシン開発競争に挑んだ物理学者たち
http://nifty.bk1.jp/product/2795748?partnerid=01nifty35

僕は全くの文系で、特に数学は大の苦手ではあったのですが、それだけにこそ科学の世界に対する憧れがあり、いわゆる「科学読物」の類は結構読んできました。SFが好きなのもそのせいかもしれません。そんなわけで、2ヶ月くらい前に渋谷のブックファーストに行った折に平積みになっていた本書に目を惹かれて購入してみました。ただ、読後の感想としては、残念ながら、僕の好みのタイプとは少し違っていたようです。

本書は、帯に「SFや映画のトリビアも満載」とあるように、単にお堅い読物ではないですよということを売りにしているわけですが、そういった「軟らかい部分」の割合が少しばかり多すぎる感がして、何とも「軟派」な内容に思えてしまうのです。僕が「科学読物」に求めるのは、知的興奮を呼び覚まさせてくれる何かであって、通俗的な雑学本ではないのです。上述の好みが違うというのは、そういった意味合いです。

また、本書は、後述のとおり内容的に科学として厳密なのか疑問な感じがしてしまう構成になっているのですが、それも本書の「軟派」度合、胡散臭さにつながってしまっているように思います。本書には、文章と上マージンの間の部分の至るところに横線が入っているのですが、これが何かというと、「第1章~第24章の段落上部に置いた横バーは、おおむね20世紀以降の物理学に関係すると認めがたい説明の部分を示しています。」と冒頭の註にあるのです……。要は、SFや映画等のフィクションとしての記述と、物理学や量子力学の科学としての記述が明確に分離されていないのです。このような文章構成では、特に科学的な知識に乏しい僕のような文系人間にとっては、どこまでが科学的に正しいことなのか判断がつかず、科学読物としての本書の内容そのものにすら疑惑の念を抱いてしまうのです。

さらに、本書は「タイムトラベル」という言葉を多用するのですが、この「タイムトラベル」という言葉を特に定義することなく、非常に広範な意味合いで用いているため、混乱させられてしまうのです。本書の「タイムトラベル」は、たとえば相対性理論において速度が違う物体は時間の流れも違うということを含んでおり、「地上の人間と人工衛星とでは少しだけ人工衛星のほうが時間の流れが遅くなる」ということを「タイムトラベル」と表現しています。僕が「タイムトラベル」という言葉を聞いて最初に連想するのはドラえもんのタイムマシンですので、個人的に何となく違和感を感じるのです。

何だか貶してばかりになってしまいましたが、平易な文章を用いて、時間という切り口での物理学の発展の歴史がまとめられていますので、一読する価値はあるのではないかと思います。とってつけた感ありまくりですが、全否定ではないという趣旨です……。

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2007年10月 3日 (水)

岩波文庫『黒猫・モルグ街の殺人事件』読了

岩波文庫のエドガー・アラン・ポーの作品集『黒猫・モルグ街の殺人事件』を読了しました。恥ずかしながら、ポーの作品は小学校のときに児童向けの『黄金虫』を読んだことがあるくらいで、表題にもなっている有名な『黒猫』や『モルグ街の殺人事件』を読むのは、これが初めてだったりします……。例のごとく、ブックオフで買って積読状態でしたが、読書の秋ということで、古典に親しもうと思って読んでみた次第です。

@nifty Books~アット・ニフティブックス:黒猫 モルグ街の殺人事件 他5編 岩波文庫
http://nifty.bk1.jp/product/00136718

初めてまともにポーの作品に触れた感想としては、「なるほど古典と呼ばれるわけだな」という感じでした。たとえば、『モルグ街の殺人事件』や『盗まれた手紙』といった推理小説の原点である作品群は、言うまでもなく「シャーロック・ホームズ」に影響を与えたものですし、『黒猫』や『ウィリアム・ウィルソン』などの怪奇作品は、ラヴクラフトのクトゥルフ神話の原型となったおどろおどろしさを感じます。一読して、後世の色々な作品が、ポーのこれらの作品をルーツとしているのだなということが実感できます。それがわかっただけでも、読んだ価値はあるというものです。もちろん、シャーロック・ホームズやクトゥルフ神話と比べてしまうと完成度や洗練さという点で一歩劣ることは認めざるを得ないように感じますが、「推理小説」や「怪奇小説」といった一大ジャンルの原点を創設したことの貢献度は計り知れないと思います。

ただ、個人的な好き嫌いの問題ではあると思いますが、ポーの作品は修飾が過度に過ぎるというか、文章表現がやたらと美辞麗句を重ねたものであり、それが読書のテンポをいくらか損なっているようにも思います。19世紀の作品を21世紀のスピード感で判断するのは誤りだとも思いますが、少しばかり冗長な部分もあるのだなという印象を受けました。あとは、キリスト教的なニュアンスがまだまだ強く、それが異教徒には少し鼻につくという一面もあるように思います。

もっとも、ポーの作品が書かれたのは1840年頃ですから、日本で言えばまだ江戸時代なわけですし、その当時に既にこれだけの作品が書かれていたというのは驚嘆すべき事柄だと思います。江戸川乱歩しかり、熱狂的な信奉者が現れるのもむべなるかなという感じですね。青空文庫にポーの作品がいくつか公開されていますので、リンクしておきます。

作家別作品リスト:ポー エドガー・アラン
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person94.html

ただ、ポーの晩年は、まさにアル中の末路という感じなんですよね。死因は急性アルコール中毒であるという説もあるらしいですが、小説家としては天才だったが、人間関係では不幸な出来事が多かったため、酒に逃避したらしいのです。偉大な芸術家が往々にして陥る類の悲劇という感じでしょうか……。

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2007年9月30日 (日)

『終わらざりし物語(上・下)』読了

今日は、雨のおかげで家に引きこもりっきりでしたので、「読書の秋」にしようと思って、ずいぶん前に買って積読状態だった、J・R・R・トールキンの未完作品集『終わらざりし物語(上・下)』を読了しました。自称トールキン・マニアとしては、まだ読んでいなかったのが恥ずかしいくらいですが……。

@nifty Books~アット・ニフティブックス:終わらざりし物語 上
http://nifty.bk1.jp/product/02392016

@nifty Books~アット・ニフティブックス:終わらざりし物語 下
http://nifty.bk1.jp/product/02392018

本書はあくまでトールキン・マニアのための本ですので、最低でも『指輪物語』全巻+追補編を通しで5回くらい読み、さらに『ホビットの冒険』と『シルマリルの物語』も何回か通読し、『指輪物語事典』にも目を通したという人でないと、物語は断片的だし、そもそも物語部分より註の方が分量が多いくらいだしという感じで、とても読めたものではないと思います。

とはいえ、トールキン・マニアにとっては、「イスタリの残りの2人の名前が載ってる!」とか「ベルーシエル王妃の猫の由来が記されてる!」とか「ウォーゼの語源が解説されてる!」」とか、興味深いことこの上ない一冊でありますので、同好の士で未読の諸兄には是非ともオススメしたいところです。また、映画版『ロードオブザリング』しか観たことがないという方も多いと思いますが、『ロードオブザリング』で描かれていた出来事は、J・R・R・トールキンの創作した壮大な神話体系のホンの一部分に過ぎず、語られなかった歴史や物語が膨大に残されていますので、いわゆる「世界観」が好きな方には、本書や、上述の関連書籍をお読みになっていただきたいと思います。

J・R・R・トールキン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/J%E3%83%BBR%E3%83%BBR%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%B3

ところで、先週の金曜日の朝の通勤時に、下り坂でブレーキレバーを強めに握ったら、フロント・ブレーキケーブルが切れてしまいました……。今日はそのメンテナンスでもしようと思っていたのですが、生憎の冷たい雨のせいで、果たせませんでした。距離がごく短いものですから、通勤用自転車の整備をここ2年ほどはほとんどやっていなかったのですが、やっぱり危険ですね。1年に一度くらいはきちんとオーバーホールしたほうが良いのかもしれませんね。

昨日、会社の同僚がスポーツ自転車を買うというので、矢口渡のY'sに一緒に自転車を見に行ったのですが、やはりきちんと整備された自転車は美しく、真面目に自転車乗ろうと思わされました。つい先日まで、東京は殺人的な酷暑でしたので、熱中症で倒れちゃいかんという言い訳をして、走っていませんでしたが、最近は大分涼しくなってきましたので、また本格的にサイクリングしたいと思います。まずは、件の同僚と、城南島と多摩川サイクリングロードでも流してきたいと思っています。

-Y'sRoad- ワイズロード/店舗情報/自転車、マウンテンバイク、折りたたみ自転車など
http://www.ysroad.net/shops/8r1.html

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2007年8月 4日 (土)

『ネット社会の未来像』読了

「ビデオニュース・ドットコム」というインターネット放送局をご存じでしょうか?「ビデオニュース・ドットコム」は、広告収入に依存しない、独立したビデオニュースサイトです。

ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局
http://www.videonews.com/

日本のマスメディア、特にテレビは、広告モデルの収益構造をとっていますので、広告主に不利なことは報道しづらいわけです。また、広告主からもらった広告費に見合うだけの視聴率を稼がなければなりませんから、真面目でお堅い番組が作りにくいという制約もあります。だから、「ビデオニュース・ドットコム」では、広告をおかず、その代わりに視聴者であるユーザーから「会費」という形で月額費用を徴収しています。その会費だけで運営しているため、中立的で公平な報道ができるというわけです。僕も「ビデオニュース・ドットコム」の会員でして、毎月525円を支払っています。ただ、正直に言うと、あまり番組は見ていないです。というのも、一つの番組が最低でも1時間、長いと3時間を超えますので、相当に気合いを入れないと見続けられないんですよね。

「ビデオニュース・ドットコム」の一コンテンツに、ビデオジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、ゲストを一人招いて、特定のテーマにおいて深く掘り下げて議論する「マル激トーク・オン・デマンド」という番組があります。参加者が三人しかいない「朝まで生テレビ」だと思っていただければ当たらずも遠からずです。その「マル激」の書籍化第三弾である『ネット社会の未来像』を読了しました(これまではその前振りですw)。本書は、「マル激」のなかでも、主に2005年当時のインターネットに関連する議論を集中的に収録したものになります。ずっと積読していましたが、ようやく読み終えましたよ……。

@nifty Books:ネット社会の未来像 神保・宮台激トーク・オン・デマンド 3
http://nifty.bk1.jp/product/02625857

さて、本書は、1.児童を狙った犯罪を防止するための監視カメラに代表される環境管理型権力、2.安倍現首相によるNHKへの番組改編への圧力問題、3.ホリエモンによる日本テレビ買収に代表されるインターネットとテレビの関係、4.Winny作者逮捕とネット時代の著作権のあり方等々、ゲストごとに非常に多岐に渡る専門的な議論がなされているので、要約するのが難しいのですが、社会の大きな変化に対してネットは何ができるのか、逆にネットにできないことは何なのかを明らかにしようとした本だと思います。実際に議論がなされた2005年から2年近くが経過し、アウトオブデートな内容かと思いきや、2007年の7月に読んでも、本書が提起している問題は変わらずに残っているように思います。

特に、先日行われた参議院選挙におけるインターネット上の選挙活動については、2005年とあまりかわっていない印象を受けます。これだけインターネットが普及した現代において、選挙期間中のインターネット上の選挙活動を大幅に制約する公職選挙法は時代遅れだと考えています。個人的には、以下のような方向で改正すれば良いのではないかと思っています。

  1. プッシュ型の選挙活動(街頭演説含む)は禁止または制限する。
  2. プル型(主にホームページやブログ、動画投稿サイトを想定)については解禁する。
  3. 寄付の受付を認める。アメリカでは1ドルから特定候補に寄付できるらしい。

あと、会社の同僚の方とお話ししていて問題を認識したのですが、無修正エロサイトのアナロジーで、アメリカ在住の日系アメリカ人が、アメリカのサーバーで、日本語による日本の政治に関するブログを立ち上げ、それを日本の選挙期間中に更新したり、特定候補を応援したりした場合、どう対処すべきかという論点です。類似した事例として、都知事選では特定候補の政見放送がYouTubeやAmebaVisionにアップロードされましたが、AmebaVisionからは消されたのに、YouTubeからは消されなかったということがありました。そういう国をまたいだ「ポリティカル・ヘイブン」みたいなネットの使われ方をどう規制すべきなのか、あるいは、そもそも規制可能なのか、問題は山積みであるように思います。

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2007年7月 4日 (水)

樋口有介『ぼくと、ぼくらの夏 新装版』読了

最近、更新が滞っていました。先週は株主総会と公にはできない裏仕事(違法行為ではないですよ!)と休日出勤があって肉体的・精神的に疲れていたことと、ウィンブルドンが面白すぎてネットなんぞやってる場合じゃないという感じでした。大学一年の頃、前期試験前に深夜一夜漬けの勉強をしているときに気分転換にテレビをつけたら、ちょうどウィンブルドンを中継していて、それ以来、毎年欠かさず観戦していますが、いやあ、いつ観ても面白いですね。あり得ないプレーの連続です。僕はテニスよりはテーブルテニス派ですが、ウィンブルドンを観るとテニスをやりたくなってきますね。

Sports@nifty:テニス特集
http://tennisjp.cocolog-nifty.com/tennis/

ただ、一度更新を休んでしまうと、味を占めてそのままズルズルと放置してしまいそうですので、何とか踏ん張って更新を続けていきたいと思います。

さて、樋口有介の青春ミステリー『ぼくと、ぼくらの夏 新装版』を読了しました。1988年にサントリーミステリー大賞読者賞を受賞した作品で、樋口有介のデビュー作だそうです。なお、以下の感想には少しだけネタバレが含まれます。本作はミステリーですので、未読の方はご注意下さい。

@niftyBOOKS:ぼくと、ぼくらの夏
http://nifty.bk1.co.jp/product/2781286

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2007年6月23日 (土)

『平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い』読了

板坂耀子著『平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い』を読了しました。本書は二部構成となっており、第一部では、「受験勉強的あらすじ暗記法」と題して、平家物語全体の話の流れを大まかに概説しています。そして、それを受けて第二部では、平家物語という作品の内容と構成について解説しています。平家物語の入門書としては、なかなかに独創的な手法だと思います。

@niftyBOOKS:平家物語
http://nifty.bk1.co.jp/product/2538616

大学時代、いわゆる「古典」を読む機会は人生でも今しかないと一念発起しまして、古今東西の古典を乱読してみた時期があります。もっとも、大半の古典は途中で挫折してしまったんですけれどもね……。今でも、本棚には未練がましく、『大学』やらデュルケーム『自殺論』やらユング『心理学と錬金術』やらウィトゲンシュタイン『反哲学的断章』やら井上達夫『他者への自由』やらの書籍が積読されていますが、暴言を吐かせていただければデスね、古典って小難しくて詰まらないんですよね。「誰でも名前は知っているけど、誰も読んだことがない本」が古典の定義であるとすれば、おそらくその理由は、現代人たる僕たちにとって、古典そのものに面白さを感じることが難しくて、それよりむしろ、古典の派生作品のほうがよっぽど親しみやすくて面白いからだと思います。古典に対してオリジナルとしての敬意は表しますが、現代的な視点から鑑賞に堪える古典がどれくらいあるのかは疑問ではありますね。

さて、ご多分に漏れず、平家物語にもチャレンジしてみたのですが、やっぱり面白くなくて、有名な「鵯越(ひよどりごえ)の奇襲」の場面とか、「宇治川の先陣争い」の場面とか、那須与一の扇を射る場面とか、壇ノ浦の合戦の場面とか、有名なシーンだけを拾い読みして、そのまま投げ捨ててしまった記憶があります。それゆえ、高校時代に世界史選択だったこともあり、日本史の知識に疎いため、平家物語については、実に穴だらけの知識しか持っていなかったのですが、本書第一部のおかげで、点と点が線でつながったように思います。

また、本書は、全体を通じて、江戸時代の歌舞伎作品や、芥川龍之介や菊池寛の小説等、平家物語を題材にした作品の解説が豊富で、それがとても参考になります。そういった派生作品も読んでみようという気にさせてくれます。青空文庫にそれらの作品が公開されていますので、是非読んでみたいと思っています。

図書カード:俊寛(芥川龍之介)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card159.html

図書カード:俊寛(菊池寛)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/card1101.html

ただ、一つだけ残念なことは、文中に平家物語の原文が当たり前のように出てくることです。平家物語の研究者である本書の著者にとっては読解する必要もないくらい馴染んでいる内容なのかもしれませんが、古文の勉強から遠ざかって久しい僕にとっては、たとえ現代仮名遣いになっているとはいえ、いきなり古文の羅列が登場すると、それを読み下そうと思う気力が湧かずに、読み飛ばしてしまいます……。僕が最も優れていると思う古典の入門書の一つに、阿刀田高の『ギリシア神話を知っていますか』がありますが、あの本は(もちろん日本の古典とギリシアの古典という言語的差異はあるにせよ)著者が自分で噛み砕いた言葉で古典のあらすじを説明しており、だからこそ理解しやすいという長所があると思います。それに比べると、本書は、読者を突き放しているというか、「これくらい読めて当然」という独善性を少しだけ感じてしまいます。古文に明るい人なら最高の本なんだろうとは思いますけどね。

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2007年5月26日 (土)

『モナ・リザの罠』読了

西岡文彦の『モナ・リザの罠』を読了しました。例によって1年近く積読していた本なのですが、近所のブックオフで購入した動機は、たしか『ギャラリーフェイク』が完結しちゃって美術的なものに飢えていたからだったような気がします……。

@niftyBOOKS:モナ・リザの罠
http://nifty.bk1.co.jp/product/2667692

本書は、4つの章から構成されており、それぞれの章では、(1)「モナ・リザ」のモデルの謎、(2)「モナ・リザ」批評が意味不明になった訳、(3)「モナ・リザ」のに描かれた背景の謎、(4)「モナ・リザ」の人物描写の秘密について、わかりやすい言葉で解説されています。美術の小難しい理論が振りかざされることはなく、『2001年宇宙の旅』などの絵画以外の他のジャンルの作品についても言及しながら、「モナ・リザ」の凄さが語られています。単に「モナ・リザ」に限らず、ルネッサンス期の美術の入門書として、とてもオススメだと思います。

本書を読むと、「モナ・リザ」のあまりの先見性と独自性から、これを描いたダ・ヴィンチという人は未来人なんじゃないかみたいなSF的妄想をたくましうしてしまいます。そういえば、ちょうどタイミングの良いことに、東京国立博物館で「ダ・ヴィンチ展」をやっているんですよね。6月17日(日)までだそうですので、是非とも行ってみたいものです。

でも、「ダ・ヴィンチ展」みたいな人気のありそうな展覧会は、それこそ展示品がまともに観れないくらいに、物凄く混むんですよね……。時間の余裕のある学生時代は、空いていそうな平日の朝一とかを狙って観に行ったりしていましたが、それでも同じようなことを考える人が多いせいか、やっぱり混みあっているんですよね。社会人になると土日しか行けないですし、となると、どうせ死ぬほど混んでいるんだろうしと思うと、行く気が失せてきてしまいます……。ジブリ美術館みたいに前売りチケット制にして、混雑解消を図ったりしてもらいたいものです。

特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像」
http://www.leonardo2007.jp/

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2007年5月17日 (木)

『カーニヴァル化する社会』読了

鈴木謙介の『カーニヴァル化する社会』を読了しました。1年以上、積読していたのですが、ようやく読みましたよ……。

@niftyBOOKS:カーニヴァル化する社会
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本書のタイトルでもある「カーニヴァル化」という概念は、本書中にも例示されているように、たとえば2ちゃんねるの大規模オフのようなものであり、インターネットに親しんでいる者としては、直感的には理解しやすいです。しかし、明確に定義しようとするとわかりにくい嫌いがあるように思います。鈴木謙介は、ジークムント・バウマンの概念を援用しつつ、「カーニヴァル化」の定義を行っているのですが、社会学にそこまで造詣の深くない身としては、理解が困難でした。誤解に終わることを承知で無理やりまとめると、こんな感じでしょうか。

今日の社会では、伝統的な価値観や集団が解体され、ひとりひとりの個人がむき出しで存在している。しかし、それがゆえに、ひとびとは個人としての一貫性を維持することが困難である。ゆえに、ひとびとは、自分に一貫性を与えてくれる集団への帰属感を獲得すること、言い換えれば、自分が誰かと繋がりうるのだということを確認したいと強く願う。そのための手段が、そのときどきに発生する「祭り」に瞬発的に反応し、参画することだ。その「祭り」に加わることで、他の参加者との一体感と高揚感を得られるからだ。そして、「祭り」への参加が繁くなるにつれ、「祭り」に参加することで興奮と感動を得ることそれ自体が自己目的化していく。結果として、社会は、ネタになりそうなことなら何でも飛びつくような躁状態と化していく。

うーむ、何か違うな……。不勉強を実感します。とはいえ、カーニヴァル化を肯定的に捉えると、ラインゴールドのいう「スマートモブズ」となり、否定的に捉えると、本書でも言及されていたサンスティーンのいう「サイバー・カスケード」ということになるんでしょうか。僕としては、カーニヴァル化は否定しがたい事態であるとしても、その事態を何とか有益な方向に誘導していく方法を模索したいところです。本書にはそのための端緒が示されていなかったように思うのですが、残念な限りです。

著者の鈴木謙介は1976年生まれであり、東浩紀や北田暁大ら「若手」とされる思想家・学者の中では自分に一番歳が近く、そのためか、本書第1章で論じられている若年層の雇用問題に関する分析なども、一番感覚が近いように思います。前著の『暴走するインターネット』以来、氏の活動には疎かったですが、今後は注目していきたいと思っています。つい先日の2007年4月に、新著『〈反転〉するグローバリゼーション』が上梓されていますので、こちらも近日中に読んでみるつもりです。

@niftyBOOKS:〈反転〉するグローバリゼーション
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2007年5月15日 (火)

『数学的にありえない』読了

アダム・ファウアーの『数学的にありえない』を読了しました。去年、マイミクの読書家の先輩が薦めてくださっていた記憶があるのですが、さすがに面白く、一息に読んでしまいました。ジャンルとしては、SF+アクションという感じでしょうか。確率論、相対性理論、量子物理学といった科学理論と、集合的無意識、仏教思想といった思想概念を融合させたアイディアがベースになっていますので、そういった単語に反応した人にはオススメできると思います。また、本書のような「科学理論を下敷きにしたエンターテインメント小説」ということで何かと比較されているのが『ダヴィンチ・コード』ですので、『ダヴィンチ・コード』を読んだことのある方は、その数学版だと思っていただければ、当たらずとも遠からずかもしれません。

@niftyBOOKS:数学的にありえない 上
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@niftyBOOKS:数学的にありえない 下
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なお、以下の感想は、ネタばれしていますので、未読の方はご注意ください。

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2007年5月 8日 (火)

GWに読んだ本(3)東京から考える

ゴールデンウィークに読んだ本第三弾は、批評家・東浩紀と社会学者・北田暁大の対談集『東京から考える』です。

@niftyBOOKS:東京から考える
http://nifty.bk1.co.jp/product/2751699

著者はともに1971年生まれで、東京あるいはその近郊で生まれ育ち、東大を卒業しています。そんな二人が、実際に東京の各所を歩いて回りながら、全国的に進行する「ファスト風土化=ジャスコ化」、下北沢や秋葉原の再開発に象徴される「失われる個性ある町」、そして、それらの根底に流れるポストモダン社会における都市の人間工学化等について論じています。

僕はこれまで、森川嘉一郎の『趣都の誕生』以外には、「都市論」はほとんど読んだことがなかったです。というのも、「都市論」とは、建築家とかデベロッパーみたいな人たちが読むものだと思っていたからです。つまり、都市を造る側の人だけが読んでいれば良いのであって、単なる一住民に過ぎない僕は、彼らによって造られた都市を受容するしか能がないのであるから、読んでも意味がないと思っていました。しかし、本書は、東京という都市の景観を切り口に、そこから垣間見える格差社会、ナショナリズム、リベラリズムについて論じており、「都市論にはこんな本もあるんだ」という新鮮な驚きがありました。

僕は著者たちよりも一回り若く、東京都北区に生まれ、小学校入学と同時に東京都大田区に引越し、以来ずっと大田区に住んでいます。大田区は、23区中最大の面積を有するので、区内に経済的、文化的に色々な差異が存在しています。小さな町工場が立ち並ぶ職人的ものづくりの町であると同時に、田園調布のような超高級住宅地を有する町でもあります。蒲田の100円ショップなどに行くとお客さんがフィリピン人か中国人しかいなかったりして、なかなかにエスニカンな一面もあると思います。

しかし、それらの差異が元になって、大田区に「個性ある町」が形成されているかというと、個人的にはあまりそういう実感はないですね。むしろ、本書で論じられている「ファスト風土化」が全面的に進行しており、僕自身、それを当然の風景として受容しているような気がします。家の近くにはセブンイレブンがあり、デニーズがあり、イトーヨーカドーがあり、マクドナルドがあり、日常的にそれらを利用しています。それらがない田舎に行ったら、不便で仕方ないと思うでしょう。

それこそが人間工学的な環境管理型権力による支配であると言われると、たしかにちょっと嫌な感じがします。数年前に最寄り駅に何の告知もなく監視カメラが設置されたことには少し反発を感じましたしね。もっとも、その嫌な感じとは何なのかを言語化するのは難しいのですが……。むしろ、本書中に出てきた「個性ある町はネット上にバーチャルな形で存在していればそれで充分かも」という議論に、IT企業に勤める身としては共感を覚えなくもないです。Second Lifeの「NAGAYA」でも良いですし、「バーチャル京都」でも良いんじゃないかと思ってしまいます。

@niftyBOOKS:趣都の誕生
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2007年5月 7日 (月)

GWに読んだ本(2)となり町戦争

ゴールデンウィークに読んだ本第二弾は、三崎亜記の『となり町戦争』です。著者は「あき」という名前なんですが、男性なんですよね……。

@niftyBOOKS:となり町戦争
http://nifty.bk1.co.jp/product/2513750

粗筋をWikipediaから引用すると、こんな感じです。

「舞坂町はとなり町・森見町と戦争を始めます。開戦日5月7日。終戦予定日は8月31日。」 ある日届いた、となり町との戦争のお知らせ。そして舞阪町役場から突然理由も分からないまま偵察業務に就かされた北原は、その業務遂行のために、対森見町戦争推進室の香西と夫婦生活を始める。戦時にもかかわらず、町は平穏を崩さない。かろうじて戦争状態と分かるのは、日々のニュースで発表される戦死者の数だけ。淡々とした日常生活のなかに侵食した戦争。しかし、次第にその戦争はその姿を現し始める。

第17回小説すばる新人賞受賞作だそうです。近所のブックオフで買ったまま、1年以上も積読していました(汗)。『となり町戦争』を読もうと思ったきっかけは、同じく積読していた東浩紀と大澤真幸の対談集『自由を考える』を最近ようやく読了したことにあります。『自由を考える』は、「テロや犯罪を未然に防止するため」という理由で街角に設置される監視カメラのような、9.11後のセキュリティを求める人々の声に対応した「環境管理型権力」によって、我々の「自由」が失われているのではないか、失われているとすればその「自由」の本質とは何なのかについて論じている本です。『となり町戦争』の「淡々とした日常生活のなかに侵食した戦争」という設定が、「無差別テロに対抗するための監視技術」という『自由を考える』の問題意識をより深く理解する一助になるのではないかと思ったわけです。

しかし、「かろうじて戦争状態と分かるのは、日々のニュースで発表される戦死者の数だけ」という『となり町戦争』の設定は、無差別テロというよりもむしろ、「テレビゲームのような戦争」と評された湾岸戦争や、古くは初めてテレビで戦争の様子が中継されたベトナム戦争に近いように思います。つまり、『となり町戦争』は、肌で戦争を実体験できるようなリアリティはないけれども、宣戦布告があって、戦うべき相手が明確であるという旧来型の戦争を想定しているわけです。すなわち、電車の隣に座っている人間がテロリストでいつ爆弾を爆発させるかわからないという現代的な対テロ戦争を想定しているわけではないのです。

個人的には、2007年の今日の戦争は、国家対国家というよりも、国家対ゲリラ的テロ集団で行われているものだと考えており、自分自身がいつ無差別テロに巻き込まれるかもしれないという恐怖をまさに身体的リアリティをもって感じているのですが、『となり町戦争』では、そのような今日的リアリティをもった恐怖は描かれていなかったように思います。その意味では、個人的には『となり町戦争』はちょっと物足りなかったですね。

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2007年5月 4日 (金)

GWに読んだ本(1)コンテンツの思想

ゴールデンウィークは久しぶりに本をたくさん読みました。その感想などをちょっと書きとめておきます。まだまだ「積ん読」書は山のようにあるのですが、少しずつ消化していきたいものです。

第一弾は、批評家・東 浩紀の対談集『コンテンツの思想』です。

@niftyBOOKS:コンテンツの思想
http://nifty.bk1.co.jp/product/02770501

200ページくらいの本ですが、活字も大きく、2-3時間あればすぐに読めてしまいます。もっとも、読むスピードは、本書で論じられているマンガとかアニメとかゲームとかライトノベルとかいった「オタク的コンテンツ」にどの程度親しんでいるかによって随分変わるとは思いますが……。

東氏も自身のブログで述べていましたが、東氏が本書と同時に出した『ゲーム的リアリズムの誕生』を補完する内容になっています。僕は『ゲーム的リアリズムの誕生』を先に読了していましたので議論の流れを把握しやすかったですが、前提知識なしにいきなり本書を読んでも、東氏のいう「思想」の内容はわかりにくいのではないかと思います。

率直な感想としては、東氏の本なら何でも読むという人でなければ、あえて本書を買い求める必要はないのではないかと思います。刺激的な対談で、内容がないというわけではないのですが、本書を読む時間があったら、『ゲーム的リアリズムの誕生』を読んだほうがベターであると思います。そちらのほうが密度の濃い、精緻な議論がなされています。『ゲーム的リアリズムの誕生』はオススメですよ。

あと、本書の中で紹介されていた『テヅカ・イズ・デッド』という本には興味がわきました。この本は名前だけは聞いたことがありましたが、近いうちに読んでみるつもりです。

@niftyBOOKS:ゲーム的リアリズムの誕生
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@niftyBOOKS:テヅカ・イズ・デッド
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